大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)1149号 判決 1964年7月03日
控訴人(原告)
佐野良太郎
代理人
日下基
被控訴人(被告)
榎俊治
代理人
奥野久之
被控訴人
株式会社近畿相互銀行
代理人
松永二夫
主文
一、控訴人の被控訴人榎俊治に対する控訴を棄却する。
二、原判決中控訴人の被控訴人株式会社近畿相互銀行に対する請求を棄却した部分を取り消す。
三、被控訴人株式会社近畿相互銀行は控訴人に対し金一五〇、〇〇〇円とこれに対する昭和三六年四月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払いせよ。
四、訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人と被控訴人榎俊治との間に生じた分は控訴人の、控訴人と被控訴人株式会社近畿相互銀行との間に生じた分は同被控訴人の夫々負担とする。
五、この裁判は、第三項にかぎり控訴人が金五〇、〇〇〇円の担保を供して仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らは控訴人に対し各金一五〇、〇〇〇円とこれに対する昭和三六年四月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払いせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被控訴人榎俊治代理人は、控訴棄却の判決を求め、被控訴人株式会社近畿相互銀行代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほかは原判決の事実摘示と同一であるから、ここに引用する。
一、控訴代理人の主張
(一) 被控訴銀行が所持していた本件手形の債権は、被控訴銀行の控訴人に対する原因債権の権利質となつていたものであるから、被控訴銀行は質権の目的物である権利が失権しないように保管する法定管理義務を負担していた(民法三六二条三五〇条二九八条)。被控訴銀行は、右義務に違反した結果、本件手形債権は時効によつて消滅し、控訴人は、本件手形の手形金額金一五〇、〇〇〇円とその利息を振出人である被控訴人榎から取得することができなくなり、これらと同額の損害を被つた。したがつて、その損害額は、控訴人が被控訴銀行に出捐した金四七、六二三円だけでなく手形金額の全額であり、被控訴銀行が競売配当金として受け取つた金一一四、六六七円は控訴人が出捐したものでないからといつて損害にならないわけのものではない。
(二) 手形利得償還請求権は、手形が時効又は権利保全手続を怠つたため、手形上の権利を失つた所持人のため、利益を受けた振出人に対し、特別に与えられた非手形上の権利であつて、利得償還請求権者に損失がなくてもこの権利は発生するし、同権利者の原因債権と利得償還請求権は併存する。したがつて、本件において、被控訴銀行は、控訴人に対する貸金債権と、被控訴人榎に対する利得償還請求権を併有しているわけである。
(三) <省略>
二、被控訴銀行代理人の主張
(一) 被控訴銀行は、本件手形について、裏書人である控訴人に対しても、振出人である被控訴人榎に対しても請求できるし、しかも、同時に両名に対し、あるいは、両名のうち一方だけに対し請求してもよいのであつて、被控訴銀行が、控訴人を選んで請求している間に、振出人である被控訴人榎に対する手形上の権利が消滅しても、被控訴銀行は、所持人として、本件手形を時効にかからないよう時効中断の措置に出なければならない義務を負担していない。
(二) <省略>
(三) 仮に右が理由ないとしても、控訴人の損害は、控訴人が被控訴銀行に出捐した金四七、六二三円の限度である。そして、控訴人は、谷口初市に対しては、本件手形の支払いを請求することができ、谷口初市は、右手形取引約定書五条によつて、その支払いを免れることができないし、本件手形の振出人である被控訴人榎に対しては、利得償還請求ができるのであるから、結局控訴人には、何らの損害がないとしなければならない。
三、被控訴人榎代理人の主張
(一) 被控訴人榎は、本件手形を右谷口初市に対し融通手形として振り出した。したがつて、同被控訴人は、本件手形の支払いを免れたことによつて何らの利得もえていない。
(二) 仮に、本件手形は、映画館改装工事の請負代金の一部支払いのため振り出されたものであるとしても谷口初市は請負工事を完成しないばかりか、却つて同被控訴人は相当の損害を被つた。したがつて、同被控訴人は本件手形の支払いを免れたことにより利得しておらない。
(三) 被控訴銀行は控訴人に対し貸金債権があり、その支払いを受けたのであるから、基本債権の弁済があつた限り、手形時効完成の前後に拘わらず、本件手形上の権利を行使すべき実質関係がなく、手形利得償還請求権は発生しない。
理由
一、(一) 被控訴人榎が、昭和二八年五月二六日、谷口初市に対し、金額金一五〇、〇〇〇円、支払期日同年七月二五日、支払場所日本勧業銀行尼崎支店、支払地振出地とも尼崎市という手形要件の約束手形一通を振り出したことは当事者間に争いがない。
(二) 谷口初市は、本件手形を控訴人に、控訴人はこれを被控訴銀行に夫々裏書譲渡したことは、控訴人と被控訴銀行間で争いがなく、控訴人と被控訴人榎との間では<証拠>によつて認める。しかして、被控訴銀行は本件手形を適式に呈示したが支払拒絶されたことは当事者間に争いがない。
(三) 被控訴銀行は、被控訴人榎に本件手形の支払いを請求しているうちに、昭和三一年七月二四日、本件手形の振出人である被控訴人榎に対する消滅時効が完成し、同被控訴人に対し手形上の権利を失つたことは、当事者間に争いがない(もつとも、控訴人と被控訴人榎間で、被控訴銀行が被控訴人榎に対し本件手形の支払いを請求していたことについては争いがある。)
(四) 本件手形は、被控訴人榎が、谷口初市に対して負担する請負代金支払いのため振り出したものであることは、控訴人と被控訴銀行との間では争いがなく、控訴人と被控訴人榎との間では、(証拠)によつて認める(この認定に反する原審での被控訴人榎の本人尋問の結果は措信しない。)、谷口初市は、本件手形の割引を控訴人に依頼したので、控訴人は、被控訴銀行から金融を受けて谷口初市に融資し、谷口初市からは、本件手形の裏書譲渡を受け、これを被控訴銀行に対する右貸金債務の担保として裏書交付したものである。以上のことは当事者間に争いがない。
二控訴人の被控訴人榎に対する、利得償還請求権の存否について。
(一) 利得償還請求権は、手形上の権利が時効又は遡求権保全手続を怠つたことにより消滅した場合、手形債務者をして、そのえた利得を領得させるのは不公平であるところから、衡平の観念にもとづき手形上の権利消滅当時における手形の所持人に特別に与えられた非手形上の権利である。
利得償還請求権が成立するためには、手形債務者が利得をえたことが必要であるが、これを約束手形の振出人についていえば、振出人の利得とは、手形上の債務を時効によつて免れたことではなく、原因関係において受けた利益(対価)のことであり、それは、積極的な金員の交付にかぎらず、消極的に既存債務の支払いを免かれた場合も含まれるわけである。既存債務の支払いに代えて、手形の振出しがあつた場合には、これによつて既存債務の消滅の利益があるから、利得償還請求権は成立する。ところが、既存債務の支払いのために手形が振り出された場合には、手形振出しによつて既存債務は、なんら消滅せず両債務は併存する。したがつて、手形債務が時効によつて消滅しても、既存の債務がある場合であるから、振出人にはなんら利得がなく、利得償還請求は許されない(最高裁判所昭和三六年(オ)第一一七号同年一二月二二日判決民集一五巻三〇六六項参照)。
(二) 今このことを本件について観ると、前に認定したとおり、本件手形を振り出したとき、振出人である被控訴人榎は、谷口初市に対し、原因債権である請負契約上の債務を負担していたから、被控訴人榎には、本件手形上の債務が時効によつて消滅しても、被控訴銀行は、被控訴人榎に対し、利得償還請求ができないとするほかない。
(三) 以上の次第で、控訴人は、被控訴人榎に対し、被控訴銀行の被控訴人榎に対する利得償還請求権の成立していることを前提に、この請求権を譲り受けてその支払いを求めているのであるから、この請求は失当として棄却を免れない。
三控訴人の被控訴銀行にする債務不履行又は不法行為上の損害賠償請求について判断する。控訴人は、被控訴銀行は控訴人に対する貸金の担保として、本件手形を取得したのであるから、被控訴銀行は、本件手形の時効を中断する管理義務があるのに、その義務を尽さなかつたことは、被控訴銀行の債務不履行であると主張するのに対し、被控訴銀行は、被控訴銀行が本件手形の裏書人である控訴人に対してその支払いを請求しようと、その振出人である被控訴人榎に対してその支払いを請求しようと自由であるから、被控訴人榎に対し、その請求をしなかつた結果、本件手形債務が時効により消滅しても、被控訴銀行は控訴人主張のような債務不履行責任を負うものではないと抗争しているので、この点について考究する。
(1) 被控訴銀行が、本件手形を控訴人に対する貸金一五〇、〇〇〇円の担保として裏書譲渡を受けたことは当事者間に争いがなく、本件手形が、所持人である被控訴銀行から控訴人に返還された事情は、(証拠)を総合すると、次のとおり認められる。控訴人は、昭和二八年四月一日、被控訴銀行と、手形上の債務について、その極度額を金一五〇、〇〇〇円とした手形割引その他手形取引契約を締結し、その債務の連帯保証人に谷口初市と訴外佐野愛子がなつた。その契約には、控訴人が手形借人れ又は手形割引を依頼したときは、その手形金に相当する借入金債務を負担したものとし、その後は、被控訴銀行から、手形債権又は貸金債権のいずれを請求されても異議がないという内容の約束もあつた。連帯保証人らは、同年四月一七日右債務のため、その共有に係る尼崎市難波九条通一丁目六番地上に建在する家屋二棟に債権極度額金一五〇、〇〇〇円、抵当権者被控訴銀行とする根抵当権設定契約を締結して、その旨の登記をした。こうして、控訴人は、右手形取引契約により、金融を受けて、本件手形を被控訴銀行に裏書譲渡した。しかし、本件手形は不渡りになつたので、被控訴銀行は、控訴人らに対しその支払いを求めたが、その支払いがないので、右根抵当権の実行をするため、神戸地方裁判所尼崎支部に競売の申立てをした(昭和二九年(ケ)第七五号不動産競売事件)結果、昭和三一年四月六日同支部から、元金及び損害金として金一一四、六六七円の支払いを受けた。控訴人は、更に昭和三四年七月二一日被控訴銀行に対し金四七、六二三円を支払つて本件手形の原因たる貸金元利金全部の弁済をした。そこで、被控訴銀行は、即時控訴人に本件手形を返還した。以上の認定に反する証拠はない。
(2) 一般に、銀行が取引先に対する貸金の担保として、手形の裏書譲渡を受ける場合の法律関係は、手形の譲渡担保であつて、まれには、かくれた質入裏書、かくれた取立委任裏書であることもあるが、そのいずれの場合であるとを問わず、債権者である銀行は、当該担担保手形について、担保提供者に対し、善良なる管理者の注意義務をもつて保管する責任を負い、支払期日に支払いのための呈示をし、不渡りの場合には償還請求権の保全手続、手形上の債務者に対する時効中断手続その他手形債権保全のために適切な措置をとるべき法律上の義務があると解するのが相当である。けだし、手形の権利質の場合に質権者に右のような質権の目的である権利について善管注意義務のあることは、民法三六二条三五〇条二九八条で明らかであるが、譲渡担保、かくれた取立委任裏書の場合でも、質入譲渡の場合と同様に、当該担保手形は譲渡裏書にかかわらず、依然、担保提供者に帰属しているのであって、ただ、担保の目的で裏書譲渡された関係で、被裏書人である銀行は、手形権利者になっているのであるから、債権者である銀行が、善管注意義務を負うべきは当然の事理というべきである。そして、担保提供者は、銀行に裏書譲渡したかぎりにおいては、手形権利者として自ら前述の支払いのための呈示ないし手形債権の保全措置を講ずるに由なく、それは一に、担保取得者である銀行の措置にまつほかなく、担保手形を保管する銀行が、この措置に出でず放置するときは、担保提供者に不利益な結果を招来することになるから、それをもって、保管義務の内容としなければならない。
そして、この義務は、被控訴銀行が主張するように、債権者である銀行が、担保手形の振出人にその支払いを請求しようと、裏書人にその支払いを請求しようと自由であるからとて、そのことによって、消長をきたらす理のないことは、前述したところによって多言を要せず明らかといわなければならない。
(3) 本件において、被控訴銀行が、振出人である被控訴人榎に対し、なんら本件手形上の債権の消滅時効中断の措置を執らなかつたため、同債権が時効によつて消滅したのは、被控訴銀行がその担保提供者である控訴人に対して負担する、右に説示した債務の履行を怠つた結果であるといわなければならないから、被控訴銀行は、これによって控訴人が被つた損害を賠償しなければならない筋合である。
(二) <省略>
(三) そこで進んで損害額について考察する。
(1) 被控訴銀行が右善管注意義務を尽して本件手形の消滅時効を中断しておいたならば、本件手形の返還を受けた控訴人は、その振出人である被控訴人榎に対し本件手形金額である金一五〇、〇〇〇円とその法定利息の支払いを請求してその支払いを受けることができたわけである(そして、被控訴人榎が無資力であることを認めるに足りる資料は本件にはない。)から、被控訴銀行の右債務不履行によって控訴人は、被控訴人榎から、同額の支払いを受けることができず、そのため控訴人は、同額の損害を被つたものとしなければならない。
(2) 被控訴銀行は、控訴人の損害は、控訴人が被控訴銀行に出捐した金四七、六二三円の限度である。そして、控訴人は、谷口初市と被控訴人榎から、本件手形金額又は、それと同額の支払いを受けることができるから、結局控訴人には何らの損害がないと主張しているので判断する。
なるほど、控訴人は、被控訴銀行から本件手形の返還を受ける際、被控訴銀行に金四七、六二三円だけしか支払わなかつたが、しかし、それは、本件手形取得の対価として支払われたものではなく、控訴人が同額を支払うより前、被控訴銀行は、控訴人の手形取引上の債務およびその原因債務について物上保証をした谷口初市と佐野愛子共有不動産上の抵当権を実行した結果、本件手形の原因債権の元金と利息として金一一四、六六七円の支払いを受けたので、なお金四七、六二三円の不足を生じたことによる、その不足額を完済するため支払われたものである。したがって、控訴人は、現実には、金四七、六二三円しか支払わなかつたことから、同額が直ちに、被控訴人に負担すべき損害の限度であるとするわけにはいかない。
そして又、振出人に対する時効が完成している以上、裏書人谷口初市の控訴人に対する本件手形上の債務も、すでに時効が完成していることが充分考えられる。ところで、谷口初市が時効完成の利益を放棄したこと、もしくは同人に対し右時効の中断があつたことについて、何ら主張立証のない本件では、控訴人が、谷口初市から、本件手形金額の支払いを受けられる関係にあることが明らかであるといえないから、谷口初市に対する償還請求権が一応存在することを理由に、控訴人が右に述べたような損害を被つていないとするわけにはいかないし、被控訴銀行が援用する手形取引約定書五条の特約の趣旨は、さきに説示したとおりで、この特約に拘束される契約の当事者は、債権者である被控訴銀行と、債務者である控訴人であつて、控訴人と谷口初市との間では、何らの効力が生ずる余地のないものである。
そのうえ、控訴人は、被控訴人榎に対し利得償還請求権を取得していないことは、さきに説示したとおりである。
債務不履行による損害であるかどうかは、信義則と衡平の原則に照らし、その損害が債務不履行と相当因果関係の範囲内にあるかどうかによつて極められるべきところ、当裁判所は、さきに説示したとおり、被控訴銀行の債務不履行と控訴人の本件手形金額である金一五〇、〇〇〇円と法定利息請求権の喪失とが、相当因果関係の範囲内にあると判断するものである。
したがつて、被控訴銀行のこの主張は採用に由ない。
(四) 以上の次第で、被控訴銀行は、債務不履行にもとづき、控訴人に対し金一五〇、〇〇〇円とこれに対する右債務不履行後である昭和三六年四月四日(本件訴状が被控訴銀行に送達された日の翌日)から支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならないから、これと異なる原判決は取り消さなければならない。
四むすび
控訴人の被控訴人榎に対する請求は失当であり、これを排斥した原判決は相当であつて同被控訴人に対する本件控訴は理由がないが、控訴人の被控訴銀行に対する請求は正当であり、これと異なる原判決は取消しを免れない。
そこで、民訴三八六条三八四条九六条八九条一九六条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官平峯隆 裁判官大江健次郎 古崎慶長)